上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
水面座高校文化祭(1)

good!アフタヌーンにて連載されている漫画の単行本。
そこに描かれているのは、水面座高校なる高校で行われる文化祭を巡る群像劇。人間から人外まで、まさに色とりどりの思惑、様相がその空間と時間には溢れています。

試読はこちらから。

「文化祭」という舞台と、それに魅せられる人達

高校の文化祭を主軸に置いた作品なので、見所の1つはやはり、そこに携わる少年少女達が放つ熱意やら何やらのごった煮。普段はそんなに学校生活に熱心じゃない彼だって、生真面目でキツさが目立つ彼女だって……老いも若きも(って程には1年生と3年生じゃ変わらないですけども、1年生からしてみると最高学年ってやっぱり少し大人なイメージがあったりしません?)その入れ込みの度合いは違えど、1つになって何かを作り出そうとするその姿には眩しさを覚えてしまうんですよね。

そんな一体感を味わわせてくれるのが、文化祭という特別なステージ。
高校生ともなると、自分は何かを学んでいるのか、得ているのか、仮に何かを身に付けられたとしても、それが今後の人生に資することはあるのか……ひょんなことから、そんな疑念に取りつかれてしまう人も少なからずいるんじゃないかと思います(恥ずかしながら僕も、微かにそんな気はあったかも)。部活であったり学外での生活であったりに拠り所を求められればそれでイイんですが、中にはそういった方向に歩めない人間もいたり。
そんな人間でも文化祭という、熱に浮かされた感すらある空間と、平時の何倍も密度の濃い時間を兼ね備えた舞台の前では、「自分にも何かできるかも、やれるかも」みたいな希望を抱けたりすることもあります。その希望がその場で叶うか、叶わないか、それとも叶っていたことに後々気付けるのかは分かりませんが、そういう気分に至らせる特殊な空気がそこにはあると思うんですよね。日常生活の場である学校が、一大イベントの会場に変貌するその様子には、修学旅行のような完全に非日常的なイベントでは持ちえないある種の魔力があるんじゃないか、と。

ところでこの水面座高校ですが、女子校が共学になってから3年目という設定で、これがまた生徒達の輝きに一味を加えているように感じます。端的に言うと、女子校という旧体制の人々が去ってから初めての自由な文化祭、という考えが一部の生徒の中にあるんですね。そういう意味では、新しいものを作ろうという意気込みが加味されるわけで、勢いアツさが増すわけです(実際にどの程度、女子校時代の生徒達による見えない「縛り」があったのかは想像することしかできませんが、第4話での文化祭実行委員・林田真子と、生徒会長補佐である水乃早姫の会話を見る限りでは確かにアレっぽい)。

「文化祭」を引っ張るのは、圧倒的なリーダーシップ

そんな水面座高校の文化祭の準備を取り仕切っているのが、文化祭実行委員長たる花屋敷都(表紙)。
彼女は文化祭にぞっこんで、実行委員を務めて3年目というベテランなのです。そんな彼女だからこそ、生徒達の熱意を1つにまとめ上げて、上手に割り振ることができる。スキルは十分。
そして文化祭に惚れ込んで誰よりも真面目に向き合い、誰よりも働き回るからこそ、他の生徒も付いてくる。ハートも申し分ありません。

文化祭実行委員として奮闘する林田真子は、自身はさほど文化祭には興味は無いにも関わらず「私はあいつの守るものにつきあってみようと思っただけでさ」と都の必死さに惹かれて働いていることを明らかにしていますし、都のことを「文化祭にぞっこん」だなんて評して、ずっとその横でサポートしている副委員長の草野くん(作中ではずっと着ぐるみの頭部をかぶっているため、素顔が見えません)も、多かれ少なかれ彼女の熱意に感得してる部分はありそう。身近な人間を理想的な形で引き込んでいくその様子にも、まさに文化祭のリーダーにふさわしい資質が見てとれるんでないでしょうか。

更に都が文化祭に巻き込んでいくのは、学生だけに止まりません。
食堂のおばちゃんから商店街の気のいい人達まで、都の応援ひいては文化祭の援助のために駆け付ける様子には、都の顔の広さと好ましい人柄がよく分かります。色々な人との繋がりを作っているのは、文化祭のことを意識して……というわけではないと思います。それにも関わらず、こうも上手く物事が回ってしまうってのはもう、都が「水面座高校文化祭」という何かに愛されているからなんじゃないか、なんて考えてしまいますね。

もう1つの非日常

さてさて、ここまで文化祭と都についてちょろちょろと書いてきましたが、この作品の魅力は勿論それだけに止まりません。何といっても釣巻和先生の作品ですからね、この世界にもきっちりと不思議なファンタジーが練り込まれているわけですよ。
あまり詳細に語ってしまうと、それはそれで未読の方(こんな駄文を読んで、この作品を見てみようなんて奇特な方はいないとは思いますが)の興味を逆に殺いでしまいかねないので、軽く触れてみます。

まず、宇宙人が登場します。しかも体操服(下はブルマ)に白衣を羽織った少女です。
これで自称宇宙人だったらただのヤバイ子なんですが、どうも転校してきたばかりの少年・天粕流太と、都にしかその姿は見えていない様子。
そんな彼女は流太に向かい、「実は君のせいでね あと数時間でここに隕石が落ちる予定なので!」なんて突然の爆弾発言を投げつけます。もうここからしてわけが分からんし、流太と別れた後の台詞も意味深なものだしで、一体彼女の目的は何なんだろう……と謎は尽きません。

更に、おばけも幽霊も出てきます。
人体模型に絵から飛び出したモーツァルトに透明人間に……という感じのおばけ達と、文化祭の日に事故にあってそのせいで学校に居着くことになってしまった幽霊少女・花子さん。
おばけ屋敷の仮装と偽って文化祭を謳歌する人体模型達が、妙に陽気で面白い。見た目とのギャップも相俟って、何とも親しみやすいキャラ達です。

とまあこんな具合に、日常と非日常が混和した文化祭には、普段は日常に潜んでいる非日常であるおばけ達も現れてくるわけですね。

誰のための「文化祭」なのか

都が1人で頑張っているからって、文化祭は彼女だけのものではありません。「たった一日が決してひとつとは限らないでしょ?」という、文化祭を見守っている誰か(単行本1ページ目で、生徒達のざわめきに紛れ込んで台詞を発しているのと同一人物?)のモノローグからも、そんなことを感じました。

例えば上で触れた流太にとっての文化祭。
彼は宇宙人から幽霊まで、普通の人には感じ取れないものをその目で捉えることができます。そのせいで人に嘘つき呼ばわれされたり、疎外感を味わわされたりしてきた彼は、いつしかあらゆるイベントで目立たずに逃げ切るようになってしまったわけですが、この文化祭においては与えられた役割をこなそうと奮起します。
そこには隕石落下阻止という目的があるわけですが、そんな状況を生んでしまった(流太に隕石を呼ばせてしまった)のも文化祭ならば、何もせずに責められるならせめてそれに立ち向かおうという勇気を持たせたのも文化祭。

例えば透明人間と花子さんにとっての文化祭。
透明人間はとにかく目立たない、地味な存在。それでも誰かの役に少しでも立てたら、と思いつつ文化祭で湧く校内を1人歩き回ります。前日の夜中には破れたポスターを修復したり、なんてことまでしてるんですね。
かたや花子さんは文化祭に対してあまりいい感情を持っていないらしく(当たり前といえば当たり前か)、ポスターを破いてみたりしていたわけです。
そんな2人がひょんなことから出会って、出店を覗いたり何だりして練り歩く様子はとても楽しげ。そして最後には、透明人間は自分の在り様をしっかりと掴み、花子さんも自分の抱える感情に決着を付けることができるのです。それもこれも、普段ならば交差しない2人が巡り逢えたからこそ起こった、(ある意味では)奇跡なわけですね。その邂逅を演出したものこそが、文化祭なのです。

勿論それ以外にも、登場するキャラクターの分だけ文化祭のカタチはあって、この作品はまだまだ色々な物語を見せてくれるんだと思います。
人にとっても人外にとっても、特別なものになっていく文化祭。僕にとってもこの『水面座高校文化祭』は、在りし日の記憶を蘇らせ、しかも今までとは違った見方まで与えてくれる、ある意味では特別なものになった気がします。



というわけで久々の長文でした。文章を書くスピードが人並にあるかどうかもアヤシイ僕ですので、恐ろしい程に時間がかかっております。けどこうやって好きな作品についてだらだら書き連ねてると結構楽しいから、まあいいや。

釣巻和先生のサイトはこちら→"雨花"

関連:『くおんの森』感想(1)
スポンサーサイト
テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。