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それだけでうれしい

まんがタイムスペシャルで連載されていた漫画(非4コマ)の単行本。
幼馴染の男女の淡い恋模様を、短めのエピソードを幾つも積み重ねて描いた作品です。

試読はこちらで。

主人公は、「原町銀座通り」なる商店街で生まれ育った2人です。表紙を飾る、和菓子屋「はづき」の看板娘の夕子と、喫茶店「ペルメッソ」のマスターである将一。
夕子は割と長いこと将一に好意を抱いているんですが、将一はそんな彼女の想いに気付かず、生来の惚れっぽさを発揮して色々な女性を追いかけています。だけれども、将一の中でも夕子の存在は何だかんだで特別なわけで、(主に女性にフラれた時)夕子のぼた餅を食べると元気が出る、みたいなことを言ってたりします。

とまあ、こういった関係がただ描かれているだけならば微笑ましいの一言で済んでしまうし、僕もニヤニヤしたり悶えたりしながら読むだけなんですが、それじゃ恋愛ものとして成り立ちにくいわけで。
なんで、夕子にお見合いの話が浮上したり、将一を振り向かせるため……というか、2人の家族同様の関係を1度断ち切るために、夕子が見合い相手と試験的に付き合ってみたり(といっても、友人関係+α程度のものですけども。相手が同業者であるから、色々と相談したりとか)といった展開が待っているわけです。

しかしそうしたハプニングがあったとしても、所々にうっすらとブラックな部分を混ぜ込みながらも、基本的には笑いと人情味溢れる4コマを描いて活躍されている松田円さんの作品なんだから、きっと最後は2人は上手く行くに違いない、頼むからそうであってくれ……なんて祈りつつ連載を追いかけていたんですが、まあハッピーエンドと言っていい幕引きだったんじゃないかと思います。将一が、夕子のことを「特別」であるときちんと認識する段階までは進んだので。そこから恋愛関係に発展するかどうかまでは語られていませんが、あそこから上手く行かないとかってことはさすがにないだろう。
個人的には、最終話、とある「ペルメッソ」常連客に赤ん坊が産まれていることが発覚するシーンなんかは、今後の夕子と将一の行く末を暗示させないこともないかな、と思ったりもしました。

さて常連客に赤ん坊が云々で思い出しましたが、この漫画の1つの特徴として、1話毎に2ヶ月の時間が経過していることが挙げられます。隔月連載というそのスタイルに合わせての演出なんでしょうが、物語が大きく動き出す終盤になって、これがなかなかイイ味を出してるんですよね。
例えば、夕子に対して見合い相手からの告白があって、付き合うことになって……というエピソードがあるんですが、これは付き合い始めたことを夕子が将一に告げるシーンで終わりを迎えます。すると、次の話が始まる時にはまた2ヶ月が経ってるわけで、その間に人間関係はどう変わったんだろうか、とこちらは気をもんでしまうわけです。

また、ショートストーリーであるため展開がやや早くなってしまい、部分部分だけを見るとちょっと心情描写なんかが物足りなかったりするんですが、その解消にもこの時間経過システムは役立っているように感じました。
どういうことかと言いますと、1話1話が短い上に確実に時が進むため、たった単行本1冊の容量にも関わらず、バレンタインやクリスマスといった恋愛に外せないイベントを数度に渡って描かれていて、キャラの言動の対比、変化が非常に分かり易く伝わる……というわけなんです。そういう意味では、時間軸を意識して見てみると、感情の動きが実に明確に描かれているんですよね。物足りないなんてことは、全くない。

そんなこんなで、ヌルめの恋愛漫画が好きな方にはマジでオススメです。

以下は、作品そのものには関係ないようで少しだけある、独り言。

この『それだけでうれしい』を読んで思ったのが、幼馴染は友達以上恋人未満な幼馴染(家族ぐるみの付き合いがあれば、尚よい)であるという、ただそれだけで、恐ろしい程のNTR的性質を宿しているのだなあ、ということでした。

NTRの語源は「寝取られ」なわけですから、まだ恋人同士にもなっていない幼馴染に男が出来たからといってそれは「取られた」ことにはならないだろう、との意見もあるでしょうが、個人的にはNTRには客観的な関係性自体の喪失(例えば、破局や離婚)よりも、絶望感とそれをいつまで引き摺ることといった精神的要素が重要だと思っているので、その辺りはご勘弁願いたい(どうでもいいですが、某巨大掲示板のNTRスレでは定義論はご法度です。それぐらい、人によって「NTR」の形はあるわけです)。

さて、僕が求めている……もとい、重要だと考える要素の1つである絶望感に関しては、付き合う前の幼馴染NTRというのはそこまでではないようにも思えるかもしれません。何しろ、まだ好意を持っているかどうかすら自分で分かっていない(分かっていたとしても、はっきりと告げてはいない。その内自動的に恋人になれるんじゃないか、なんて期待を抱いているわけです。その根幹には、その関係がいつまでも続く半永久的なものだという危うい勝手な思い込みがあるように思います。例えば、『それだけでうれしい』の初期の夕子はこれに近いかな)ためです。

……が、それはあくまで最初だけなんじゃないでしょうか。ある意味、家族的に育ってきているため、自らの半身とも言うべき存在に育っている幼馴染に、ある日突然はっきりとした形で離別(といっても、付き合い自体が消滅するわけではありませんが)を告げられ、それが実感を得始めた時、それはもうたまらなく狂おしい思いを伴ってくるに違いありません。ああ、何故自分は彼女(彼でもいいですが)への想いに気付いていなかったのか、告白しなかったのか……なんて具合に。
『それだけでうれしい』の将一の言葉を借りるなら、他の女性との恋が風船のように気持ちがふくらみ、地面を蹴れば空も飛べるような思いになるものだとしたら、幼馴染はその地面そのものである、というそのことに気付いてしまう瞬間に襲いくる絶望感は、想像だにし難い。

で、僕が欲するもう1つの要素である「引き摺ること」ですが、これは言うまでもないでしょう。
幼馴染だったわけだから、日常生活の何処かで出会うことも多々あるだろうし、思い出やそれに伴う物の数も半端じゃない。ちょっとしたことで、他人のものとなってしまった幼馴染への想いに駆られることは必至です。
更に家族ぐるみだったりすれば、その関係を完全に断ち切るなんてのは不可能に近いですよね。それこそ、家を出たり何だりして新たな生活を始めないといけない。仮にそうしたとしても、新生活に馴染むまでは、その現状の原因となった幼馴染のことを考えないわけにはいかないだろうし、元いた生活空間へ時折帰ってみたりすると、そこと切って離せない存在であった幼馴染を想起してしまうんじゃないかなあ、と思うんですよ。

ところで、こう長いこと「NTR」について書いたのは何故かといいますと、実は『それだけでうれしい』には将一と夕子以外にも幼馴染が登場していて、既に女性側は結婚までしているんですが、その男性側が未だにそのことを引き摺っていてあまりにも哀れだったので、何となく感情移入してしまった、とこういうわけです。論理的にちょっと甘い部分もありますが、ご看過下さい。

松田円さんのサイトはこちら→"アマネマツダ情報板"

関連:『合金さんちの日常』(1)感想
『サクラ町さいず』(6)感想
テーマ:漫画の感想
ジャンル:アニメ・コミック
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